砂川村の鎮守であった立川の阿豆佐味天神社

立川市砂川町の阿豆佐味天神社

阿豆佐味天神社は、砂川の新田開発の際に、村の鎮守の神として1629年(寛永6)に創建されました。地元では「阿豆佐味神社」と呼ばれています。阿豆佐味天神社は西多摩郡瑞穂町に総本宮があり、江戸時代初期に勧請したものです。砂川新田の開発を行った村野三右衛門が狭山丘陵の麓「岸村」の出であったためです。後に砂川村と呼ばれる新田開発が始まったのが慶長14年(1609)の事ですから、開拓民が移り住んでから20年後の事でした。開発当初、この新田開発は残堀川の水を頼りに進められました。残堀川は昔から大雨のたびに氾濫する暴れ川で、洪水のたびに大量の土砂を流域に堆積させて人々を困らせたことから土地の人々が砂の川と呼んだとも、いつも水量が少なく川底が見える事から砂の川と呼んだとも伝えられます。この砂の川が縮まって「砂川」の地名となったわけですが、当時の苦労は並々ならぬものだった事が想像されます。苦難に直面した人々が心のよりどころとしたのがこの阿豆佐味天神社だったのです。

立川市砂川町の阿豆佐味天神社・立川水天宮の由緒

阿豆佐味天神社の由緒

阿豆佐味天神社については説明版がありましたのでその文章を抜粋いたします。

「砂川は、江戸時代初期に新田開発で拓かれたところで、阿豆佐味天神社は、寛永六年(1629)頃、村山郷殿ヶ谷(現瑞穂町)の延喜式内社阿豆佐味天神社より勧請されました。爾来砂川の鎮守として発展を見守ってきました。
ご祭神は、医薬・健康・知恵の神さまの少彦名命(すくなひこなのみこと)と、文学・芸術の神さまの天児屋根命(あめのこやねのみこと)のお二柱です。
本殿は元文三年(1738)頃の建築と考えられており、昭和四十五年(1970)立川市有形文化財に指定、立川市内最古の木造建築物です。
様式は「一間社流造正面軒破風付こけら葺」といいます。現在は拝殿後方の白い覆殿に収められています。拝殿は天保十年(1839)に着工し、文久二年(1862)に竣工、総けやき造りで、近郷まれにみる豪壮な建築物と云われています。」

阿豆佐味天神社は江戸時代に玉川上水の完成をもって本格化した砂川新田の発展を見守ってきました。砂川村の歴史については「立川北部の砂川村と玉川上水の関係」をご参照いただけると詳しくご説明しています。

立川水天宮は、古来より安産・子授けの守り神として崇められています。安産のご祈祷・安産祝帯の授与は、いぬの日以外でも行っています。
境内社には、蚕影神社(猫返し神社、養蚕の神)、八雲神社(厄除け)、疱瘡社(疫病除け、縁結び)、稲荷社(五穀豊穣、招福財福)、天神社(学問)、御嶽神社(火難盗難除け)、浅間神社(縁結び、安産)、金刀比羅社(交通安全)、八坂大神社(疫病除け)があります。

拝殿

総けやき造りの拝殿

境内社に続く参道

境内社に続く参道。蚕影神社(こかげじんじゃ)、八雲神社、疱瘡社(ほうそうしゃ)、稲荷社、天神社、御嶽神社(みたけじんじゃ)、浅間神社、金刀比羅社(ことひらじんじゃ)、八坂大神社へはこちらから。

阿豆佐味天神社本殿

拝殿の奥にある本殿。ここは立ち入り禁止となっています。

阿豆佐味天神社境内

阿豆佐味天神社の境内には大きな木がたくさんあります。

神楽殿

神楽殿

境内社

蚕影神社(猫返し神社)他

拝殿の脇(東側)にある鳥居をくぐると手前に境内社、奥に立川水天宮が祀られています。

境内社についての説明版

境内社前にある説明版です。これだけの神様がいらっしゃるとお参りにも相応の時間がかかりますね。

猫返し神社の別名を持つ蚕影神社

蚕影(こかげ)神社は読んで字のごとく養蚕の神様です。万延元年(1860)に常陸国豊浦湊から分社されました。養蚕が盛んであった砂川では明治から大正にかけて、その最盛期を迎えたのですが、その後の戦争や化学繊維の普及とともにやがて衰退したそうです。砂川は養蚕で欠かせない桑苗の特産地としても知られていたようで、私が子供のころは桑畑がまだあちこちに残っておりました(昭和50年代くらいでしょうか)。

蚕影神社は「猫返し神社」としても知らます。命名はジャズピアニストの山下洋輔さんという事です。立川市に引っ越してきた山下洋輔さんの愛猫がいなくなり、さんざん探し回った挙句この蚕影神社にたどりつき、お参りしたところ翌日戻って来たというエピソードが有名となりこう呼ばれるようになったそうです。以来、愛猫の無事や健康を祈りにたくさんの人がお参りに来るようになったようです。

蚕影神社は養蚕の神であり蚕の天敵である鼠を捕らえる猫を、守り神としています。

ただいま猫の石像

ただいま猫の石像。狛犬ならぬ狛猫といったたたずまいです。

猫絵馬

何種類かの絵馬があります。こちらは猫絵馬だけがかけられていました。猫守りもあります。

「豊の泉」と書かれた手水鉢にもかわいい猫ちゃんがいましたよ!

八雲神社

牛頭天王(ごずてんのう)・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。日本神話においてスサノオが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因んだもので、厄除け神様として知られます。

疱瘡社(ほうそうしゃ)

天然痘の神である疱瘡神(ホウソウガミ)を祭神とし、疫病除けの神様です。

稲荷社

お稲荷様、お稲荷さんと呼ばれ親しまれる稲荷大明神(いなりだいみょうじん)が祭神。五穀豊穣・招福財福の神様。

天神社

菅原道真を祭神とする神社。菅原道真は死後「天神様」と呼ばれ、学問の神様となりました。「天満宮」や「天神」と付く神社も同じく菅原道真を祭神とします。

御嶽神社(みたけじんじゃ)

看板に「火難盗難除け」とある事から青梅市にある武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)からの分社だと推測されます。

浅間神社

富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀る神社の事です。古くは「浅間」を「せんげん」ではなく、火山を意味する「あさま」と読んだことに由来があるようです。家庭円満・安産・子安・水徳の神とされ、火難消除・安産・航海・漁業・農業・機織等の守護神。

金刀比羅社(ことひらじんじゃ)

金刀比羅神社、琴平神社、事比羅神社はそれぞれ「ことひらじんじゃ」と呼び、金比羅神社も含めて、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮を総本宮とする神社です。主祭神は大物主神(おおものぬし)。大物主神は、古来から「海の神様」として漁業、航海など海上の安全を守ってくれる神として信仰されてきました。

八坂大神社

恐らく八坂神社の系統だと思います。看板にも疫病除けとあり、牛頭天王(ごずてんのう)が祭神でしょう。

立川水天宮

阿豆佐味天神社内北東奥にあるのが立川水天宮。古来より安産・子授けの守り神として崇められています。安産のご祈祷・安産祝帯の授与は、いぬの日以外でも行っております。いぬの日は「腹帯をお巻きになるとよい日」です。

立川水天宮

歯固めの石収めどころ

初宮参りの後、「お喰い初め」をします。お喰い初めとは、「この子が一生食べ物に困ることがありませんように、歯が丈夫でありますように」と願いをこめて、生後100日頃を目安に食べる真似をし、ご家庭で食事の大切さを教える儀式です。初宮詣で神さまから頂く、食器や箸・歯固め石を使い、新しい家族のために、心のこもったお祝い膳を用意します。

歯固め石収めどころ

歯固めの石が収められています

唐子手水鉢(からこてみずばち)

唐子手水鉢は四人の唐子(中国の子ども)が片膝をついて担いでいる珍しい手水鉢の事です。

唐子手水鉢説明版

説明文には縦四尺(120cm)、横四尺(120cm)、高さ二尺(60cm)とあります。以下抜粋
「幕末の弘化三年(1846)当地出身の小山奥左衛門が寄進したものです。鶴見邑(現川崎市)の名工飯島吉六の作。手水鉢の四隅を四人の唐子が、片膝をついて担ぐという、全国でもほとんど例のない珍しい型式です。正面には「漱盤」と刻されてあり、「漱」とは口をすすぐの意です。」

唐子手水鉢

唐子(中国の子ども)が片膝をついて手水鉢を担いでいますね!

阿豆佐味天神社について

西多摩郡瑞穂町に総本宮があり、村山郷の総鎮守として、武蔵七党の一、村山党(高望王の子孫で秩父平氏の流れを汲む)の氏神として崇敬を受けた。阿豆佐味という社名については、梓弓によるという説、楸(きささげ、古名あずさ)によるという説、湧水(阿豆=甘い、佐=味の接頭語、味=水で、甘い水の意)によるという説など諸説あります。立川市砂川町にある阿豆佐味天神社はこの神社を勧請したものです。

阿豆佐味天神社・立川水天宮へのアクセス

阿豆佐味天神社・立川水天宮へのアクセスマップ

阿豆佐味天神社・立川水天宮へは西武拝島線武蔵砂川駅より徒歩20分(約1317m)です。かつての砂川支所(現砂川学習館)の斜向かいにあります。駐車場32台分があるので、車でもアクセスできます。初詣など混雑する時は徒歩または自転車にした方がいいでしょう。

阿豆佐味天神社の住所

立川市砂川町4-1-1(googleマップで確認

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